田村麻呂伝説
2008 / 03 / 08 ( Sat ) 田村麻呂伝説
昨日書きました福島県郡山市から田村郡(現田村市)にかけては、その地名の通り田村麻呂伝説が色濃く数々の伝承が語り継がれています。 坂上田村麻呂は 平安時代の武官で陸奥国の蝦夷(えみし)討伐で功績を上げその後征夷大将軍になりました。 平安時代を通じて優れた武人として尊崇され、後代に様々な伝説を生みました。 ※ 蝦夷とは、日本列島の東方、北方に住み、日本人によって異族視されていた人々の事です。 郡山には 田村麻呂の出生伝説があります。 国見山(中田町)で大武丸(鬼伝説)が反乱を起こしたので、帝の命で田村麻呂の父親である苅田麻呂が征伐に来ました。 陣中に怪しい光が差し込むので、その光を頼っていくと、木賊田村の清水で根芹を摘んでいる三国一の醜女が居ました。 名を阿口陀媛(あくたひめ)と言い苅田麻呂はその女を陣中に伴うと、玉のような男の子が生まれました。(伝説ですので話が早い) 産湯に用いた「産清水」その赤子を抱き上げた「抱上坂」などの地名が残っています。 まもなく、苅田麻呂は大武丸を征伐し「子供が成長したら都に訪ねてくるようにと」言い残し都に帰って行きました。 男の子は成人して都に上ると、父である苅田麻呂と対面しました。 これが田村麻呂であり「田村」は出生地にちなんでつけられたと言われています。 阿武隈川の名前の由来に昔、田村麻呂が「大熊」にのって「あぶくま」川を渡った所として「熊渡し」の伝説が伝えられています。 なんかあしがら山の金太郎の話と重複してしまいますが? ![]() 田村麻呂が成長し蝦夷討伐に訪れた時に母阿口陀媛と逢った所が行合橋です。 母親と成長した田村麻呂が待ち合わせて合った所から行き合い橋と名前が付けられました。 ![]()
田村麻呂が蝦夷追討の際に守山城を築き、蝦夷掃討の以降を奏したる地にして、田村麻呂の次子を守山城に遣わせました。 その後 田村氏と称し田村清顕に至るまで、守山及び三春地方を治めたとあります。 ※ 守山城 また、三春駒は日本三大駒のひとつに数えられ、福島県の民芸品として人気ですが、この三春駒も坂上田村麻呂を救ったと言う逸話から三春駒が出来たそうです。 |
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